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すがわら文仁議員から学ぶ、継続することプラスアルファの大切さ

埼玉ローカルねたで恐縮ですが、埼玉県議会議員に「すがわら文仁」という議員さんがいらっしゃいます。彼は政治家に必要とされる三バン(ジバン、カンバン、カバン)無しに、埼玉県の戸田市会議員からスタートし、「あること」を継続し続けたことによって、埼玉県議会議員になるまでに至りました。

そして、県議会議員である今も、その「あること」を継続し続けています。

すがわら文仁議員が、今も継続し続けている「あること」とは?

あることとは?埼玉県戸田市には「戸田ボート」という競艇場があるので、ご存じの方もいらっしゃることと思います。そんな戸田市では、議員が朝、駅前に立ち、手製の活動レポートを手渡しで配る、いわゆる「駅立ち」という活動が行われています。

自分が目にしている限りでは、日本テレビの元アナウンサーで、現在、戸田市議会議員4期目の「さいとう直子」氏が「駅立ち」を始めたことに感化されて、他の人も同様の活動を始められたように記憶していますが、今では、戸田市長も含め、何人もの議員が駅立ちを行っています。

そんな中、「すがわら文仁」議員は、県議会議員になった今でも、「駅立ち」を始めた頃と変わらずに、定期的且つ、継続して地道な「駅立ち」の活動を続けられています。

支持を集める人と、集められない人の違い

「さいとう直子」議員もそうですが、「すがわら文仁」議員は「駅立ち」の活動によって、多くの市民の支持を集め、選挙ではかなりの得票を得ることに成功しました。その成果を見て、駅立ちを始める議員が増えたのだと思いますが、駅立ちを行っている議員全員が皆、市民からの支持を集めているかというと、そうではありません。

同じ「駅立ち」という活動をしていても、すがわら議員のように支持を得られる人もいれば、そうでない人もいます。その違いはどこから生まれるのでしょうか?

駅立ちしたところで、基本的には誰も受け取ってくれない

世間は厳しい駅は人が集まる最たる場所の一つですが、足早に人が通り過ぎるのもまた、駅の特徴です。幾ら人が集まる場所だからといって、電車に早く乗りたくてやってくる人に向けて活動レポートを渡してみたところで、ほとんどの人は受け取ってはくれません。

幾ら渾身のレポートを作成したところで、受け取って見てもらえなければ何も始まりはしません。

1時間立っても、2時間立っても、受け取ってもらえたのは数枚のレポートだけ。そんな状況に心が折れてしまい、駅立ちを続けることができなかった議員の方もいらっしゃるようですが、すがわら議員は決してめげることなく、今も変わることなく、継続して駅立ちを続けています。

継続と工夫を続けることが、賛同者を生む

選挙ではかなりの得票を得ることに成功した「さいとう直子」議員や「すがわら文仁」議員に共通していること。それは、変わらぬ努力を継続して続けたことです。

たとえレポートを受け取らなくても、その行動を市民は見ています。心が折れてしまったとしてもおかしくないくらい、レポートを受け取ってもらえない状況を目にして、自分には到底できないと思えるようなその努力に感心し、それがやがて応援したいという気持ちに変わっていったということは、想像に難くありません。

しかし、続けているというだけなら、他にも同様の議員さんは存在します。続けるだけで得票が得られるのなら、議員の誰もが駅前に立つことでしょう。しかしそうならないのは、継続すること自体が大変であるということもありますが、続けるだけで必ずしも成果が得られるとは限らないからです。

賛同者を得られるか否かの分かれ目、それは、継続することに加え、どれだけ工夫を重ねることができるか?です。

ほんのちょっとしたことの積み重ね。そしてそれを続けること

工夫と努力を愚直に続ける「すがわら文仁」議員の例で言えば、同じ駅に場所を変えて何度も立つということをされています。

駅を足早に通過する多くの人は、レポートを受け取るために歩くコースを変えるようなことはしません。たとえ興味はあっても、目の前で渡されなければ受け取ろうとは思わない。だから、駅を通過する人が通る何本もの通り道の一つ一つに、日を変えて立つということをされています。

そして、駅立ちをする自分の傍らには、飲食店の店頭などで使われる「ブラックボード」を置き、自分が行っていることを遠目からもわかるようにしています。

幾ら目の前にレポートを提示されても、それが何であるか分からなかったら、いきなりでは誰でも拒否反応を示すものです。だから、遠目から活動レポートを配っていることがわかるようにすることで、拒否反応を和らげるよう工夫しているというわけです。

しかし、このような努力をしても、なかなか受け取ってもらえるものではありません。それだけに、他にも工夫していると思われるところは数え切れないくらいあるのですが、こうした工夫と努力を常に続けていることが、継続することの大変さへの感心と相まって、多くの市民からの支持を得ることに繋がっているのだと思います。

このような話は、政治の世界ばかりでなく、セキュリティ教育においても同じこと

さて、前置きがかなり長くなりましたが、すがわら議員の話は、セキュリティ教育においても同じように当てはまる話です。

セキュリティ教育を継続することが大事である。などということは、今更言うまでも無く当然のことであり、誰もが「そんなことは何年も前からやってるよ」と言われるかと思います。

しかし、「工夫と努力」というとどうでしょうか?

すがわら議員のように、数え切れないほどの工夫とテスト、そしてチャレンジを繰り返し、社員の支持を集めるような努力をたゆまずに続けているか?と問われたらどうでしょうか?

更に、ただ工夫をするばかりでなく、その結果を計測し、PDCAサイクルとしてきちんと回せているか?というとどうでしょうか?ここまでくると、さすがに自信を持って「できている」と答えられる方は少なくなってしまうのでは無いかと思います。

良い結果を出したいものですよねセキュリティ教育の重要性は言わずもがなですが、社員から支持を得られず、やらされ感を与えてしまっている教育のやり方は、ただ漫然と駅立ちをするのみで、市民から支持を得られないでいる議員と同じであるように思います。

折角仕事をしても、支持を得られないままというのではやる気も出ませんし、何よりも自分の人生という貴重な時間を無駄に浪費してしまうだけです。

仕事とはいえ、自分の貴重な時間を使うのなら、周りから支持が得られ、よりチャレンジがしたいと思えるような、良い方向に繋がる結果が出せるようにしたい。そう思いませんか?

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