標的型メールは見抜くことが難しい。は誤りです

予見する力を身につけ、磨くための最善の方法とは?

セキュリティ事故を起こさないためには、起きないようにすることが何よりである。当たり前のことだが、実際にはこれができないから事故が起きる。

仮にタイムマシンがあって、あらかじめ未来を知ることができるとしよう。もし未来に事故が起きるとわかったならば、そうらないよう回避策を取り、事故が起きないようにするはずだ。このように前もって手を打っておけば、事故が起きることはない。

しかし、現実にはタイムマシンなんてないので、未来を知ることはできないが、人間とはよくできたもので、不思議と危険を察知することができたりする。何となく「あやしい」とか、「危ない」とか感じる感覚がまさにそれなのだが、タイムマシンの代わりに、こうした予知・予見する力があれば、防げる事故は多い。

セキュリティ事故を防止するための策として、そうならないよう「システムで防御する」「ルールを決める」といったことも必要ではあるが、「予知・予見する能力を磨く」ということも、打てる手立ての一つになる。

しかし、予知・予見する能力というのは、座学では決して身につかない。知識自体は座学でも身につくが、その知識を頭の中にある引き出しから出してきて、目の前で起きている事象に照らし合わせるには、その作業自体を自分の中で「自動化」しない限り、実行されることはない。予知・予見する力とは、日々の経験や体験によって、自分の体に何が危険であるかを覚え込ませ、そのような危険が迫ってきたら、自動的に察知し、体が勝手に動くようにするということに他ならない。

定型書類の処理を毎日続けるうちに、書類を一目見ただけで不備があるかどうかわかるようになる。というのもまさにこれであり、簡単に言えば「クセづけ」こそ、予見・予知する能力を磨くための最善の方法と言える。

啓発ビデオを見せるなどのセキュリティ教育を毎年定期的に実施し、頭に繰り返し刷り込むことは、ある種「クセづけ」にはなるが、体験を伴わない場合、頭の中の引き出しにしまわれるのみで、何かの「トリガー」がなければ、予見・予知の能力の発揮にまでは繋がらない。事故を本気で防止したいのであれば、やはり体に覚え込ませるしかないのである。

訓練実施というと「そこまでやるのは大袈裟だ」と考える方もいるかもしれないが、消防士や自衛隊員、警察官といった方々は、毎日のように訓練を実施している。「人の命を守る仕事なんだから、そんなの当たり前」と思うだろうが、人命が傷つけられるのも、会社がセキュリティ事故の被害に遭うのも、どちらも「決して起きて欲しくない」ということでは同じだと思うはずだ。

もし、そうであるなら、「人の命を守るのだから訓練を実施するのは当たり前」と考えるのに、「会社をセキュリティ事故から守るのに、訓練実施までするのは大袈裟」と考えるのはおかしくはないだろうか?人命が傷つけられてはいけないが、会社はセキュリティ事故に遭っても構わない。などということはないだろう。セキュリティに関する訓練を実施することは、大袈裟なことでも何でも無いのである。

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